神対応の都市伝説は実話。任天堂「エンディングまで泣くんじゃない」
今回は、仮説と、その答え合わせではなく、都市伝説への回答をしよう。
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顧客第一のように見せかけながら、其の実、実態が異なる企業は多い。
スクウェアエニックスが「ドラクエモンスターズ」のガチャ問題へのクレームでとった対応は、メッキが剥がれたわかりやすい例だろう。
とあるビジネス誌記者が、実名をあげながら、イケイケの人気企業の醜悪な顧客対応を嘆いたことも思い出す。
※今やその企業は…
さて
3年連続で営業赤字を計上、据え置き型ゲーム機「Wii U」の販売失敗を認め、不振にあえぐ任天堂。かつて世界中から羨望の眼差しを受けた企業が、苦境に立つ姿に思いを巡らせながら、青春の記憶が蘇った。
「エンディングまで泣くんじゃない」
そんな稀代の名コピーとともに1989年、任天堂が売りだしたゲームソフト「MOTHER」を、当時田舎の中学生だったボクは、発売日に購入し、熱中した。
このソフトのプロデューサーは、コピーライターの糸井重里氏。ドラクエ、FF、ウィザードリィなど硬派なRPGが全盛のなか、牧歌的、叙情的な作風で際立っていた。
毎日数時間プレイをして徐々にストーリーを進行させるも、局面で何度も謎が解けずつまづいた。
その都度、困ったボクがとった行動は、任天堂に電話して泣きつくという、今思えば赤面してしまうような幼稚な行動だった。
その数、計数十回。土日には1日に4~5回電話したこともあった。
こんな、ハッキリ言ってウザイ電話攻勢に対し、電話口の任天堂のお兄さんがとった行動は…。
「どうしました?」「難しかったかな?」
優しい口調で、課題の解決法を事細かく丁寧に教えてくれるというものだった。
一刻も早く涙のエンディングに近づきたいボクにしてみれば、後光が差すほどの神対応。鮮烈な記憶として今も心に刻まれているし、任天堂ブランドへの愛は深い揺るぎないものになった。
任天堂の神対応については、NAVERまとめにも都市伝説的に紹介されているが、
【神サポート】任天堂の神対応 まとめhttp://matome.naver.jp/odai/2127485123888916301
実際に体験したボクは、断言できる。
今も街に出れば、NINTENDO DSに夢中になっている小学生だらけだ。
DS現ユーザー~ファミコン世代のアラフォーまでの全世代は、任天堂ブランドを媒介にした楽しいコミュニケーション体験を心に宿している。
新規に打ち出したヘルスケア事業、キャラクター事業は、目先のビジネスに思えてならない。
ドラッカーの名言「われわれの顧客は何を価値と考えるか」。
復活のシナリオに重要なのは、多くの日本人が持つ任天堂のブランド体験という資産の活用と、任天堂の中興の祖であった山内溥氏が大切にした“こどもの心”の深層にある、潜在的ニーズの発掘だと仮説立てる。
任天堂、「エンディングまで泣くんじゃない」。